男のフェスティバル
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第10回男のフェスティバル
2005年は、メンズセンター10周年です。メンズセンター10周年記念事業と第10回男のフェスティバルをリンクして、
2005年9月10日11日の両日、大阪で開催しました。
1996年11月 京都 第1回男のフェスティバル
1997年9月 大阪 第2回男のフェスティバル
1998年9月 東京 第3回男のフェスティバル
1999年9月 京都 第4回男のフェスティバル
2000年9月 宝塚 第5回男のフェスティバル
2001年9月 福岡 第6回男のフェスティバル
2002年9月 大阪 第7回男のフェスティバル
2003年9月 名古屋 第8回男のフェスティバル
2004月9月 香川 第9回男のフェスティバル
第8回男のフェスティバル分科会報告
「男の更年期」 in 名古屋
中村 彰
第8回男のフェスティバにて、「男の更年期」分科会を、大阪医誠会病院で「男性更年期外来」を担当する石蔵文信さんと持ちました。石蔵さんはもともとは循環器のお医者さんです。男性更年期外来を担当する医者は泌尿器科の人が多いそうです。分科会には男性17人、女性4人が参加してくれました。プログラムには下記の呼びかけをしました。
「男の更年期」外来担当医師・石蔵文信さんを囲んで「男の更年期」について語り合いましょう。中高年男性の過労死、過労自殺。うつ。働き過ぎ症候群。ストレス社会のなかで悶々と生きる中高年。性欲減退。勃起不全。精神も肉体も疲れ、若いころの元気を失っているあなた。身体の声に耳をすましたことありますか。「男の更年期」を理解することは、心身の健康と向かい合うことです。
なお、『メンズ・ネットワーク』70号(2003.08.01、メンズセンター)にて「特集・男の更年期」を組んでおり、石蔵さんの分科会でのお話の内容はすでに詳細に報告されています。ここでは、分科会での話題を少し紹介しますが、詳しくは『メンズ・ネットワーク』70号を参照してください。
(石蔵さんの話)
男性更年期外来を訪れた患者さんのなかに「男性ホルモンを投与してほしい」と依頼して早く治そうとする人に「ゆっくり治そう」と話かける。男性ホルモンを投与して、元の異常な状況に戻さない。薬を処方する場合も少なくしか出さない。
更年期、ウツになる人は、生真面目な仕事人間が多い。職場でよく働き土日は家族サービス。仕事を頑張る120%の生き方でなく80%の生き方でいいではないか。
ホルモンを投与しなくても、精神が落ち着いてくれば男性ホルモンが上がってくる。
ウツになってもセックスをしなければならないと考える人がいる。勃起しなくなれば男性でなくなるという意識をもつ人が多い。セックスレスになっているのは、ウツになっているから。ウツ、不安を取り除けば、勃起障害は回復する。リラックスしないと勃起をしない。また、ウツの薬が勃起障害をおこす。そのことを妻にも話す。3か月セックスレスを続けてからバイアグラを処方する。心因性の勃起障害にバイアグラが効く。私の外来は薬がなくなる状態で終わる。
ドクターへの講演をよくする。医学教育は「性」を教えない。精神科の診療内容から「性」の問題をはずしている。ウツの薬を出せば、薬で性欲減退が起こるのだから、次回の診察の折りに、セックスのことを聞くのが本来の姿なのに。
女性は閉経で急激に女性ホルモンが落ちる。男性は男性ホルモンがゆっくり落ちる。
更年期外来にくる患者の6割は男性ホルモン正常。男性ホルモン低下だけでは語れない。
更年期。他人のせいにしないで、自分のせいにする人が多い。
更年期と言われて、一生涯かと心配する人がいるが、一時期だとわかり知って安心してほしい。
外来に来る患者は上司に言っていない。「軽いウツ、不安」と診断書に書く。3か月休めと診断書に書く。ゆっくり治す。ほかに黙って(公表しないで)治していく。企業への対応に苦慮している。
「微笑みウツ」が日本に多い。「しんどいときはしんどい顔をしなさい」と言う。
第7回男のフェスティバル
《孫を語ろう》分科会 報告
(コーディネーター 中村 彰)
まえがき
☆いつもメール等で情報をいただいている中村彰さんから、お孫さんの画像が送られてきたときには、正直びっくりしました。私も、15年くらい前に、わが子の写真を年賀状にしたことがあったけれど、包み隠さず「孫」の誕生をいとおしむ素直な中村さんのお気持ちがスススッと心に流れ込んできて、不思議に温い思いがしました。
たくさんのひとに、誕生を祝ってもらえる「赤ちゃん」!それは21世紀に、大切なことではないでしょうか…そんなわけで、孫のいない私も関心をもって、ワークショップ「孫を語ろう!」に参加させてもらいました。(は)
孫はかわいい!
開口一番!「孫はかわいい!」と皆さん。 「子どもが生まれたときは、親として育てていく責任感を強く感じたが、孫は心底かわいい!」「孫とほっぺすりすりしたり、お風呂に一緒に入って金魚のおもちゃで遊ぶときの、嬉しい気持」「親だと、あれダメ、これダメ。孫とは、思う存分遊んでやれる。孫の道草にもつきあってやれる」「孫は自分の(からだの)一部のような気がする」と、その気持を率直に語っておられました。
また、同年代でお孫さんがおられない参加者の方は、「(自分の娘が)できちゃった婚でも、結婚しないで子どもを生むのでもOKだから、孫が欲しいなぁ」と語られていました。
孫の写真をもっている?!孫の話題がでる?!
孫の写真を持ち歩いている方が3人いました。何枚ものスナップ写真をみせてくださる方もありました。その方は「父も写真を持ち歩いていた。しかし父の時代は、それを語る相手はいなかった」と言われました。
また「同窓会にいくと、最近では、孫の話がでるようになった」「すこし前では、孫はかわいいと思っていても、口に出せなかった」等の声が次々聞かれました。さらに「カラオケでも、孫の歌が歌われるようになった」という話がでると、「(仕事が)現役のときは、孫の歌は歌えなかっただろう」という話もでました。
“企業戦士”として働いておられたときには、「孫」をいとおしむ気持を見せることができなかったことを聞いて、今、やっと、男性たちが「孫」を語れる時代になったんだなあと思いました。
孫が心配、孫に干渉したい、孫をいつくしむ気持…
「孫は自分の一部。殺されたりしたら、絶対許せない」「息子・娘世代は経済的にたいへん。自分たちが遊びたいのはがまんするべきだ。明石の花火の事故のように、小さい子どもを連れ出すのなら、預かってやりたい」「孫をもってみて、親父の気持がわかった。干渉したくなる気持だ」…かわいい!という気持の裏には、心配になったり、干渉したくなる気持があって当然なのでしょう。今までは、こうした言葉を聞くと、子育てをする親世代への批判だと受け取りがちでしたが、孫を愛する気持から出ていた言葉なのだと理解できました。そして「孫をいつくしむ気持は、哺乳類でも、人間だけ」という声には、ナルホド!!と納得。
家制度…よりも、命のバトンタッチ!
また、家元を継ぐのは「孫」という伝統文化の世界では、まだ家制度が重んじられ、「血」が重要視されているというお話をされる方もありました。参加者からは、そういう家制度としてではなく、命のバトンタッチの発想で「自分をつないでいくもの」「なにかを残したい思いを孫は伝えている気がする」という話が出ました。
世代のギャップ…ジェンダーと「孫」
「『パパ(夫)、ウンチでたよー。パパの役目』と呼ぶ娘をみて、娘がせんか!と思ってしまう」「古い世代なので、『男の子らしく』『女の子らしく』『男のくせに』…という言葉は日常的に出てくる」「外孫(娘の子ども)には、『女らしく』『男らしく』ではなく、のびのび育てと願うのに、内孫(息子の子ども)には『男は賢く』『女はしとやかに』と思ってしまう。」…進行役の中村さんが「男たちから、いろんな思いを出し合うことが大事。いいか悪いかは、後でいい」というリードをされたこともあって、安心できる話し合いの雰囲気のなか、参加者から率直な思いが語られました。
その後、戦前教育を受けた世代では、妻の洗濯物を干すと近所の話題になったという話がでると、「今では、おむつを換えるおじいちゃんもいる!」という声がでたり、「内孫(にジェンダーを求めるの)は、自分の家の子どもだという意識があるからか?!」「内孫・外孫の区別は、日本だけか?」「中国の儒教の影響では?」「家父長制の延長では?」「西欧はファミリーの概念だけでは?」「藤原さんの息子さんがスウェーデンにおられるので、たずねてもらおう」等、話がはずみました。
また、女の孫と男の孫で関わり方が違うか?ということでは、「変わりがない」「個人差だ」「甥より姪のほうがかわいい。甥は言うことをきかない」「自分と違う性をかわいがる気がする」「今までいない性の孫ができるとかわいがる気がする」「孫とキャッチボールしたい」(←女の孫でもできるよ!)等の声が聞かれました。
狙われるトイザラスじいちゃん?!
昔遊びのイベントが盛況だそうです。孫を連れた祖父母がたくさん来場し、お金も落としてくれるのだそうです。孫がおもちゃを買ってもらう目当ての「トイザラスじいちゃん」というものも、お盆の帰省時に各地に出没するそうで、消費者としてターゲットにされている現状には、皆で苦笑い。
孫を集めて“祖父を語る会”があってもいい
でも、「孫から相談を受けられるような、おじいちゃんでいたい」という声も聞かれ、最後には、孫を集めて「おじいちゃんを語る会」があってもいいなあという、世代間交流のアイディアも飛びだし、ワークショップは、なごやかに終わりました。
(文責 波田埜 雅子)