オフィス なかむら

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  代 表中村 彰

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   中村彰は、1988年4月から活動を続けています。

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男女共同参画社会の実現を目指す活動をしています。

男性も女性も、個性豊かに、いきいきと生活できる社会を実現するため、行政、企業、研究機関との連携を図りながら、その自立・発展のための支援活動をおこなうことをもって、男女共同参画社会の形成の促進を図る活動に寄与することを目的としています。

  (1)研修・人材養成事業
  (2)情報の収集・発信事業
  (3)調査研究事業
  (4)支援・相談事業
  (5)ネットワーキング事業
  (6)その他目的を達成するために必要な事業

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中村彰 男性の「生き方」再考メンズリブからの提唱世界思想社

四六判並製 214頁 定価1890円〈税込) 
ISBN : 4-7907-1145-5


「仕事、地域、家庭、趣味 … 多様な暮らしを欲張りに生きることで、メンズリブを通した自分の姿が見えてくる。更年期、ドメスティック・バイオレンスなど、さまざまな角度から「男性」を照らす。自分らしさを追求する「欲張り人生」のすすめ。男性と女性の双方に心地よい関係を作るにはどうしたらよいのかを、男性の側にスポットを当てて考える。

日本における男性グループの歩み:p184〜194



中村彰著『男性の「生き方」再考:メンズリブからの提唱』から学ぶもの

                                           たなか なつみ

 

中村彰さんの著書、『男性の「生き方」再考:メンズリブからの提唱』(世界思想社、2005年)は、長年メンズリブ活動に携わってきた著者が書きためてきたものを集めたものである。本文は3部構成。第1部で、暮らしのなかのメンズリブ、メンズセンターの活動の記述を軸に、メンズリブとはどういった運動なのかということについて読者を導き、第2部で、二つのアプローチとして「男性更年期」と「ドメスティック・バイオレンス」を紹介する。そして、第3部として、男女共同参画活動に携わった3人の男性の、それぞれの「男性の生き方」の問い直しについての聞き書きが続く。

 性別役割に対する異議申し立てについて、女性の側の反応を見聞きすることは比較的多いが(特にわたしは女性なので)、男性の側の反応はどうだろう。現在では女性と同様にあるいは女性以上に男性のほうが生き方の選択の幅が狭く、デメリットも多いのではないか、というような反応がわたしの周りでも現れはじめている。男性の人生の支柱は必ずしも仕事で名をあげることではない、ということをお題目としては理解しつつも、どうしてもその蜘蛛の巣から逃れられない男たち。本書は、そういった男性たちがもう一歩視野を広げるためのきっかけづくりの導入書であり、また、男性とともに生きる女性たちへの応援の書でもある。

 「男である」とはどういうことであろうか。「女である」ことと一体どういった差異があるのだろうか。新聞社という、華やかなエリート集団でもあり、また過密な仕事を強いられる場で働いてきた著者は、職場の上司とのいさかいによるうつ状態や、「男の更年期」を経て、「男はこうあらねばならない」というバイアスに、いかに自分がしばられていたかということ、「あるべき男」であり続けることで、失うもの、失ってきたものがいかに多いかということに気づいていく。

 男性の語り場を提供する目的で、大阪にメンズリブ研究会が立ち上がったのは1991年、1995年にはそれがメンズセンターへと発展していく。男女共同参画社会の実現をめざす男性側の取り組みとして、男性が「男らしさ」にしばられることなく、また女性を抑圧することなく、いきいきと生活できる社会環境作りを訴える。「男」ではなく「人間」としての生き方が、男性にもやはり必要なのだ。巻末の年表を見ると、同様の男性グループが、1990年代に入ってから急ピッチで増えていることがわかる。それは、大学等で「男性学」が取り上げられはじめた時期とも一致する。

 本書の内容で大きな柱となっているのは、男性更年期と並んで、ドメスティック・バイオレンスの問題である。「ドメスティック・バイオレンスは犯罪である」という惹句で、その章は始まる。いわゆるDV 防止法が施行されたのは2001年。家庭内の暴力が「犯罪」というかたちになったことで、やっと被害者を守る装置が整ったわけだが、著者は、同法が加害者の更生に関する記述がほとんどないことに触れ、加害者に向けた取り組みを抜いて、ドメスティック・バイオレンス防止の実をあげることはできないと述べる。また、被害者=女性、加害者=男性、という前提のもとで、男性被害者への支援、および、同性愛者や性同一性障害などの性的マイノリティーの人びとについての記述がないことも問題である、と。

 著者は事例をおって、男性加害者が生まれる仕組みを検討する。心理的な攻撃をも暴力に加えることで、目に見えない加害者はふくれあがる。パートナーに対する自分の態度が暴力だということに気づかない者、気づいてなお止められない者。「男」という枠組みにとらわれず、自由な感情表現を自分に許していたら、「怒り」の表現のみが男に許されるという誤った学習をせずに、暴力行為を媒介にせずとも、パートナーといろいろな感情を共有できる信頼関係が結べたのではないだろうか、そんなふうに著者は述べている。

 「自分の感情をパートナーに表出する」ことが苦手な男たち。自分の感情と向き合うこと、その感情を他者に表現すること、他者の感情に共感すること。それは言葉にする分には簡単だが、その訓練を経ていない「男」たちが実際に行うことはとても難しい。同様のことは女性にも言えると思う。言葉の暴力に焦点をあてたとき、女性もやはり DV 加害者になりうるのだということを、「男」たちの姿を反面教師に、女たちもまた学んでいく必要があるのだと思う。「女」であるわたし自身、まだまだ考え方をあらためるべき余地が十二分に残っていることを強く感じた。

 仕事、地域、家庭、趣味……多様な暮らしを欲張りに生きる男性の姿を著者は推奨する。自分らしさを追求し、性別にとらわれないひとりの「人間」として生きること。その豊かさに男女の違いはないのだ。

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