あきらの著作から




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男女の対等な関係、学ぶ機会を
=デートDVを防ぐために―


中村 彰

 ドメスティックバイオレンス(DV)とは、親密な関係にある相手に対する暴力を指す。DV防止法においては、配偶者間における暴力を対象としているが、DVは本来夫婦の間だけで起こるものではない。結婚していないカップル、高校生や大学生の恋人同士においても、身体的暴力、言葉などによる精神的暴力が横行しており、これは「デートDV」と呼ばれている。
 わたしは大学の非常勤講師として「男女共同参画社会論」などを教えているが、女子学生の中に、デートDVの被害を受けた者は必ずいる。
 彼女らの゛元彼゛が求めた「約束」はたとえば次のようなものだ。
 「待ち合わせには絶対に遅れない」「自分(彼)との約束を何よりも優先」「どこで誰と何をしているかを前もって知らせておく」「ほかの男の人とは仲良くしない」「メールを見せる」「自分の言動に意見しない」「性的欲求を断るときは必ず自分が納得する理由を言う」「無駄に出歩かない」―。
 彼女たちは「つきあっていた当時は単なる約束事という認識。別れた後も、『苦い恋愛の思い出の一つ』と思っていた。こうしてデートDVについて学ぶと、自分の体験がその疇(はんちゅう)に入ると気付きました」「たしかに監禁されていたわけではなかったし、自分の足で行動することはできた。しかし、自分の意思で行動している感覚が無かった。麻痺していました」などと話す。
 デートDVの本質は、相手から考え方、人間関係、行動をコントロールされ、自己決定させてもらえないことだ。男女が対等な関係を生きるとはどういうことなのか、若い人が学ぶ機会を作ることが急務である。
 わたしたちは知らず知らずのうちに、男性に対して、「弱音をはかない、男は泣かない、感情を表さない、強く競争に勝つ、女性を守るべきだ」などと求めていないだろうか。一方、女性には、「おとなしく控えめ、理屈を言わない、貞淑、受身であるべきだ」などと刷り込んでいないだろうか。
 このような価値観の中で育つと、男性優位の発想が根付き、女性をコントロール下に置くことを是とする風潮を生みだしてしまう。自分の考え、感情を相手に伝える努力をしないで、思い通りにならなかった時に怒りが爆発し暴力となる。
 幼いころから力や支配で相手を自分の思い通りにするのではなく、自己開示をして理解を求めていく対等な関係性を学び、行動できる人間に育てる教育が大切である。
 理事を務めるNPO法人SEAN(大阪府高槻市)では、性と暴力などについて出前授業をしている。今子どもの人権をテーマに制作中のDVDの挿入歌の一節を紹介しよう。
 「泣くんじゃないよ 男だろ!」 
 ―男の子だって泣いていい
 「理屈を言うな、女のくせに」
 ―女の子だって言っていい。
強くやさしく生きたいな。みんな生き生き、生きたいな」


  時事通信社配信  2007年8月 愛媛新聞、河北新報、信濃毎日新聞、静岡新聞、神戸新聞ほか掲載





新旧住民の壁崩す工夫 公民館活用しふれあいを

中村 彰

一昨年四月から、私の居住地にある公民館の館長をしている。

私が住んでいる地域は、もともとは農村地帯で、高度経済成長の波にのって地域開発され、工場誘致が進み、新興住宅地やマンシ鳧ンが林立するようになった。現在、工場閉鎖が続き、跡地が宅地化され、若い世代の流入に伴って小学校の児童数が増えている。古くからの住民と新住民が暮らす地域だが、両者の壁は厚い。強い発言 力を持つ古老たちの影響力もまだまだ強い。

そんな地域で、私が古老との融和を図るために試みたのが「歴史散歩」。地域の名所旧跡を巡り、地元に伝わる伝統を感じ取る散策だ。史実であれ、単なる伝承であれ、それらを踏まえた上で歴史の息吹に触れることは、新旧いずれの住民にとっても得難い体験となる。また、古老たちが生きてきた足跡のなかに、多くの生活の知恵 や生きるヒントが隠れている。生活様式や暮らし方が変わっても、いまに生きる伝承は受け継ぎたい。

館長を引き受けてから、幼稚園や小学校、中学校とのかかわりも多くなった。昨年3月、子どもの人権をめぐる講演会を企画した。「子どもを加害者にも被害者にもしないために」をテーマに、「多様性の尊重と共存」や「脱暴力の生き方」などを子どもたちに伝える活動をしているNPO法人に、人権教育の出前授業を依頼した。 園児や児童、生徒の親世代にも参加してもらいたくて、学校や幼稚園に広報をお願いし、託児室も用意した。

また、公民館での「絵本の読み聞かせ」を試したら、親子連れがたくさん参加してくれた。この日は、私も絵本の語り手として参加。その縁で現在、小学校の休み時間を利用した読み聞かせのグループ「みんなの本箱」の一員としても活動している。

このほか、地域の体育祭の昼休みイベントとして、幼稚園の保護者による和太鼓の演奏をしてもらった。中学生には、出発係や放送係、召集係など、体育祭のスタッフとして関わってもらった。そのような活動を通じて、中学生の体育祭スタッフと、絵本の読み聞かせで出会った小学生との交流も心がけた。今年は、小学校高学年の 児童にも体育祭のスタッフをやってほしいし、学校や幼稚園の運動会で子どもたちが演じた団体競技や演舞などを披露してもらうことを考えている。子どもたちから大人が元気をもらったり、教わることも多いからだ。

個人的には、地域住民と子どもたちとのふれあい、園児や児童、生徒たち同士のふれあいなど、公民館という場を活用した取り組みがもっとあってもいいと考えている。

大阪の高校生で、エイズの啓発活動をしている子どもたちがいる。高校生や中学生に向けて呼びかけるパフォーマンス、公演を続けている。ピア・エデュケーションと呼ばれているが、同じ世代同士での情報伝達システムだ。大人から指導だと構えてしまうが、同じ世代同士なので、気心も伝えやすい。この仕掛けを、公民館と学校 ・幼稚園をスクラム組んで実現させたいと願っている。

2008年1月23日 熊本日日新聞





心豊かに生きようよ


中村 彰

お父さん。この一週間、あなたが「ありがとう」と言ったのはいつでしたか。どなたに、どの場面で、お礼の言葉を発しましたか。

 多くは「さて、いつだったろうか」と思案することでしょう。比較的多いのが職場で、次いで地域。家庭で「ありがとう」と言ったのはいつだったかを考え込んでしまう人もいるでしょう。子どもには気軽に声がかけられる男性も、妻にはなかなか言えないようです。

 世の男性たちは「ボクは男なんだから」と肩ひじを張った生活をしてきたように思います。しんどくても、つらくても、表情ひとつ変えずに頑張り通す。「男は男らしく、女は女らしく生きる」ことを是とする今の社会通念の中で、男たちは体にムチ打ち、その役割を演じてきました。

 「仕事」という競争社会を生きぬくためには、休日出勤、深夜までの残業をいとわずにきました。家族とのだんらんや自由時間を放棄して仕事に割り当てることを「家族のため」と、自分を納得をさせてもきました。昨今、取りざたされている「過労死」「過労自殺」にまで自らを追い込こむこともあります。

 私たちは「男らしさ」を問い直して「自分らしく生きる」ことを提案し、男たちの悩みに耳を傾けるメンズリブの市民活動を続けてきました。男たちの気持ちに寄り添い、言い分に耳を傾けながら、男がよかれと思ってきたありようと、妻の側の思いのあまりにも大きな隔たりに、がくぜんとすることがあります。「家族のために」と考える行動や気持ちが、夫妻の間でズレを起こし、話し合いや気持ちの伝え合いが滞っているのです

 男たちが抱える問題はさまざまですが、気になるのが、こうすべきだと自分の意見を押し付けはするが、自分の気持ちの表現は苦手な人が多いことです。他人と心をふれあうすべを身につけずにきたのではと危ぐすることが多いのです。幼いころから、喜怒哀楽をあからさまにすることを禁じ手として育ち、感情を表す言葉をどこかに忘れてきてしまったのです。 

 感情豊かな自分を取り戻すことで、家族はもちろん、地域の高齢者や子どもたち、障害者とのふれあいを楽しみたいものです。

(東京新聞 2000年5月29日付)




「男性の自分探しとメンズリブの歩み」

中村 彰


かつて企業で働いていた私は、職場の上司と折り合わず、その上下関係の中で追い詰められ、鬱状態にまで落ち込んだ。その状態の中で、仕事だけの人間になっている自分に気づき、それ以外の世界を大切にする生き方の必要性を感じた。しかし、そのことを一番身近なパートナーである妻に語ることができなかった。

当時、ある女性グループとの出会いがあり、そこで実施されたアンケート調査で舅姑や夫と同じ墓に入るのは嫌だという女性の声や、その他、女性たちのしんどさを聞く機会が増えた。私は3世帯家族の農家の長男であるが、妻の立場のしんどさが理解できていなかったことに気づき、自分の男という立場のしんどさを含めてジェンダーの問題に対して目を向けるようになった。

自分に照らして考えると、男たちには自分の気持ちや感情をうまく表現できない側面があり、パートナーなどとの会話の中でも事実関係にだけ反応して、相手の気持ちを受け止めずにズレを起こすことがあるのではないかと思う。

男らしさを背負って頑張ることが内面を晒さないことにつながり、うまく表現できないという状況が自分を追い詰め、爆発させ、極端な場合はそれがドメスティック・バイオレンスにつながることもあるのはないか。男たちがコミュニケーション能力や豊かな感情表現を取り戻し、プラス志向を持って自分の中で育てていくことが人間関係を良くしていくことになると思う。

また父親たちが自分の子どもと同じ目線で生きているのだろうかということを、自分の反省としても問い直したい。そして仕事だけに生きてきた男たちについて、それ以外の世界での生き方を問いかけた上で、改めて仕事とは何かということを問い直していきたい。

TRANSLATION
"A Man's Search for Himself and About Liberation of Men" by Akira Nakamura

 Some years ago, I was a company worker and I went through a phase where I had difficulty getting along with my boss. Our relationship was so bad that I ended up driving myself into a corner and suffering from a serious state of depression.
  While struggling to find a solution, I realized I had become a work-oriented man, in need to become more aware of the values and importance of the world surrounding me, other than my work environment.  I was, however, unable to share these feelings with my wife, my most intimate partner.

 At one time during this phase, I had a chance to work closely with a group of women who, among other activities, responded to questionnaires about themselves. Through these questionnaires, many of the women voiced their reluctance to join their husbands in their graves and through dialogue, I came across other problems and dilemma that women face which had hitherto never occurred to me. I was the first son (heir to the family) of a farmer, living in a house where 3 generations of the family lived together. The difficulties that my wife might have had never crossed my mind.
  It was then that I started to shed light to the gender issues, taking an objective view of my own self as a member of the other half.

 From my perspective, men tend to have difficulty expressing themselves, whether it be their thoughts or their emotions.
  In a conversation, the man reacts to straight facts but not to the sentiments or emotions that accompany them. This, I believe, is what causes most of the misunderstanding between partners. 

 We tend to believe that being a man is to be strong, never exposing his weakness or his inner soul.
  This makes it difficult for a man to be a man and at the same time express himself.  It may result in pushing oneself to the edges and becoming frustrated with his own self; in extreme cases, it could lead to domestic violence.  It would help relationships between people, if men, who are awkward in communication skills, can acquire the capability to better express themselves. The ability to communicate well can be fostered through a positive mindset.

 I would also like to revisit the relationship between a father and his children. As a father myself, I would like to probe into the question of whether we are positioning ourselves to see and feel at the same level of our children.

 My objective, through all of this, is to instill a question in the minds of us
 men, a question of whether another way of life is possible, apart from the work that could inadvertently become the centrifugal point of one's life.  I hope to find yet another clue to what "work" means, and could mean, to us.




第6回男のフェスティバル・シンポジウムのパネリスト報告
                         (2001年9月、福岡で開催)

メンズリブ市民活動は女性の活動から多くのことを学んだ

                                    中村 彰

 
 1991年4月、大阪で開催されたメンズリブ研究会第1回例会が、日本におけるメンズリブ市民活動のそもそもの始まりでした。呼びかけた5人の男たちは、1989年、1990年の2回、研究会発足につながるパネル・ディスカッションにかかわっています。

 1989年9月に開催の日本女性学研究会9月例会(討論会「男はフェミニストになれるか」)は女性たちにより企画されたものですが、このとき、パネリストとして出席した男たちが、「自分語り」を通してジェンダー・フリーの生き方を模索し始めたのです。男である自分の問題を語り出したのです。イエ制度のワクのなかの「長男」として生まれ育つなかで悶々とした日々を振り返り、「自分らしさ」を取り戻す取り組みが私のメンズリブでありました。「長男」「婿養子」「仕事だけに生きる」などなど、日本に暮らす男たちがかかえる問題に向かいあっていきました。

 メンズリブというカタカナ語を使っていますが、アメリカからの直輸入ではなく、国産品の市民活動なのです。先行したウーマンリブの対概念として名づけたのです。

方法論の多くを女性たちの活動から取り入れました。その意味では、ウーマンリブ、フェミニズムの影響を強く受けていますし、ジェンダー・フリーを目指すという方向性も同じです。自分語りの場を男だけの場にしたのも、女性たちからの学びだったのです。

 男性優位社会での男性側の加害者性は認めますが、男性優位社会に生きる男たちも、生きにくさを感じ、軋轢のなかでもがいています。男性のかかえる問題をメインテーマとする場の必要性を認識して「男たちの井戸端会議」「男たちの相互カウンセリング」「男たちの癒しの場」を模索してきました。最近では、ドメスティック・バイオレンスの男性側への取り組みとして「脱暴力プログラム」が始まっています。男性が「男らしさ」に縛られることなく、また女性を抑圧することなく、いきいきと生活できる社会をめざしています。

 メンズリブの会合は、評論ではなく、私の想いや私が感じることを伝え合うことを重視します。これも大きな特色です。

 最後に私がこれからこだわりたいことについて。
 男たちがジェンダーフリーの生き方を取得するためには、労働環境を変えることが必須だと想うので、労働組合や青年会議所、経済同友会などとのコンタクトをめざいたい。また、子どもたちにジェンダーフリーを伝えることも重要課題だと想います。
 



とよなか男女共同参画推進センター・すてっぷ
館長コラム 第10号 (2011年8月9日発行)


かつて家事は手仕事の連続であった
― 性別役割分業と男女共同参画

                                   中村 彰
団塊世代が大量に地域に戻ってきた。
これまで仕事に多くの時間を捧げていた人が、仕事で通用していた尺度とは異なる対応を迫られ、苦慮しながら、地域という新たな生活環境で居り場(おりば)を求めている。仕事をリタイアしたことで、家庭のなかでの夫婦の関係性も変化する。
仕事には定年があるが、家事に定年はない。男が仕事、女は家事と分担してきた夫婦も、夫が定年を迎えることで関係性が問い直される。

かつて文化人類学者の梅棹忠夫さんは、1950後半〜60年前半にかけて家庭の電化が急速に進んだ時代に「妻無用論」を書いた。
それまで洗濯板で洗濯をしたり、朝早くに起きてかまどでご飯を炊いたりなど、手仕事の連続が家事だった。
それが家庭電化製品の普及にともない、家事の負担が軽減された。多大な労力をようする家事を担うことだけを妻の役割と考えるならば、そのような妻はいらなくなった、という趣旨だ。
家庭内の電化という新しい時代を迎えたいま、夫婦の関係性を問い直すことが必要ですよと説いた。
梅棹さんは、「性別役割分業を日本国民の生き方として浸透させたのは明治政権である」、と説く。政権の担い手である武士階層の長年にわたる慣習を、全国民に浸透させたのである。
梅棹さんは、女性たちに「妻であることをやめよ」と呼びかけた。

「封建武士=サラリーマン型の家庭を延長してゆけば、けっきょくはゆきづまる。この方向では、妻は不要になるばかりである。(中略)
女が封建武士=サラリーマン型の妻であることをやめることだ。女自身が、男を媒介としないで、自分自身が直接になんらかの生産活動に参加することだ。(中略)
女が妻であることをやめるということは、なにも結婚しないということではない。(中略)
今後の結婚生活というものは、社会的に同質化した男と女との共同生活、というようなところに、しだいに接近してゆくのではないだろうか。それはもう、夫と妻という、社会的にあいことなるものの相補的関係というようなことではない。女は、妻であることを必要としない。そして、男もまた、夫であることを必要としないのである」と結論づけた。

「妻であることをやめよ」「夫であることをやめよ」ということは、旧来の性別役割分業意識からの脱却を求めている。一人ひとりが仕事にも生活にも、しっかりとした軸足で立ち、男性であれ、女性であれ、その性に基づいて立場を異にするのではなくて、どちらもが対等に生きる。その上での対等な目線で向き合う夫婦のパートナーシップが求められる。上下や主従の関係性ではない。
1959年に示された梅棹さんの提唱に、今を生きる私たちは答えることができているだろうか。この構想が実現できたとき、「男女共同参画」という取り組みが堅実な成果を得て終焉するときである。


*梅棹忠夫さんは、1919年生まれ。私が学生のころから多くの影響を受けた恩師のひとりで、2010年7月3日に老衰で亡くなった。90歳だった。『知的生産の技術』『文明の生態史観』『情報産業論』などの著作がある。

*梅棹忠夫「妻無用論」は『婦人公論』1959年6月号が初出。後に『梅棹忠夫著作集』第9巻(1991年、中央公論新社)に収録されている。この巻は「女性と文明」というタイトルが添えられていて、男女共同参画の分野からみて興味深い論考が収められている。

*小長谷有紀さんが梅棹忠夫さんのメッセージを判りやすく解説した『梅棹忠夫のことば』(2011年、 河出書房新社)のなかでも「妻無用論」のエッセンスを紹介している。